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​私が魔女になるまでのお話(まだ途中)

「花子さんは、どうしてアロマテラピーを始めたんですか?」
 

と聞かれると、少し困ります。
 

どこからを「始まり」と呼べばいいのか、よくわからないからです。

生徒さんやお客様、いろんな方に聞かれるたびにかいつまんで話していくと

そのお話は、みんながおかしな話だと笑しだします。

そして、「だから花子さん、花の星をやっているのね」と納得してくれるのです。

こんな暮らしをしてまもなく30年。

30年前に、ほとんど存在しなかった職業名「アロマテラピスト」

名前がなければ目指すこともできないから、私は「魔女」になりたいと言い続けてきたのでしょう。

​魔女に憧れていた

​第一章|魔女は、本の中にしかいないと思っていた
 

「どうしてアロマテラピーを始めたんですか?」

そう聞かれると、少し困ります。

どこからを「始まり」と呼べばいいのか、よくわからないからです。

童話の中に出てくる、薬草を使う魔女のおばあさんに憧れていた子どもの頃なのか。

学校にもあまり行かず、自分で小さなハーブガーデンをつくって、ハーブティーやチンキ剤を作って遊んでいた15歳くらいの頃なのか。

お年玉を握りしめて青山のアロマショップへ行き、小さな精油の瓶が並ぶ世界に胸を躍らせた日のことなのか。

 

それとも、ずっと後になって、植物療法を仕事にして生きていこうと決めた日のことなのか。

・・・・たぶん、その全部なのだと思います。

物語の中の、薬草を使う人

 

子どもの頃の私は、童話に出てくる魔女に憧れていました。

庭で植物を育てて、必要な薬草を摘んできて、小さな瓶の中で何かを調合する『魔女の宅急便』のキキのお母さんのような、植物のことをよく知っていて、その知恵を使って人を助ける人。

もちろん当時の私にとって、それは現実の職業でも学問でもありません。

お話の中にだけ存在する世界でした。

けれど10代になって、ハーブというものを知りました。

植物を育てて、それをお茶にしたり、何かに漬け込んだりして、自分の暮らしの中で実際に使うことができる。

「あれ。もしかして、あの世界は本の中だけのものじゃないのかもしれない」そんなことを思ったのだと思います。

15歳、小さなハーブガーデンをつくる

 

当時は今のように、スマートフォンで調べれば世界中の情報が出てくる時代ではありませんでした。

手に入る本や、わずかな情報を頼りに、自分でハーブを育てるようになりました。

小さなハーブガーデンをつくって、育った植物でハーブティーを淹れたり、チンキ剤を作ったり。

誰かに習ったわけでもありません。

ただ面白くて、一人であれこれ試していました。

しかもその頃の私は、学校にもあまり行っていませんでした。

学校には行かず、自分の庭で薬草を育ててチンキを作っている15歳。

今振り返ると、「大丈夫なのか、この子。」とちょっと思います。

 

でも、植物を育てて、観察して、調べて、自分の手で何かを作ってみる。

それは私にとって、勉強というより遊びでした。

そして不思議なことに、今の花の星でやっていることの原型も、すでにこの頃にあったように思います。

お年玉を握りしめて、香りの世界へ

 

アロマテラピーとの最初の出会いとして、今でもよく覚えている場所があります。

東京・青山にあった、カルペパーハウスです。

小さな精油の瓶がずらりと並ぶ店内。

まだ何も知らない私は、お年玉を握りしめて、「どれを買おう」と、わくわくしながら瓶を眺めていました。

当時、ジャスミンのお花の香りが大好きだった私は、ジャスミンの精油の入った小さな瓶を見つけ、その香りに心を奪われこれを買おうと決めました。

忘れもしません。プライスカードには10mlで、50,000円の表記・・・

少女のお年玉で買えるはずもありません。

結局、私は泣く泣く何も買わずに帰りました。

でも今振り返ると、あの日の驚きは、私にとって結構大きなものだったのかもしれません。

こんなに小さな瓶に入った、目にも見えない「香り」に、どうしてこれほどの値段がついているんだろう。

当時の私は、たくさんの花からほんのわずかな精油しか採れないことも、その植物を育て、収穫し、香りを取り出すまでにどれほどの手間がかかるのかも知りません。

ただ、

この小さな瓶の向こうには、私の知らない大きな世界があるらしい。

そんなことを強く感じて、手ぶらで帰りました。

でも、私は絵描きになりたかった

 

植物と同じくらい、子どもの頃から好きだったものがあります。

絵を描くことです。

私は芸術系の学校への進学を考え、絵画教室や美大予備校に通って、デッサンや絵画の基礎を学んでいました。

植物や香りの世界には惹かれていたけれど、「将来はアロマセラピストになろう」なんてことは、まだ考えていません。

というか、当時の日本に「アロマセラピスト」なんていう職業名はほとんど存在していませんでした。

「香り」が仕事になるなんて、そんな発想は普通の人は思いもしないような時代でした。

 

私は、アートの世界へ行きたかった。けれど家庭の事情から、進学することができなくなりました。

そこからしばらく、私にとって長い模索の時期が始まります。

進学もせず、就職もせず、アルバイトをしながら、「私は、これから何をして生きていくんだろう」と考えていました。

絵を描くことへの思いも捨てきれない。

そんな、どこへ向かうのかよくわからないティーンエイジでした。

そして、ヴェレダに出会った

 

そんな頃、アルバイトをしていたライフスタイルショップで、私はヴェレダと出会いました。

 

お店で商品を取り扱っていたことから、メーカーが開催する商品説明会にも参加するようになりました。

 

仕事として参加している大人たちに混ざって、10代のフリーターの女の子が一人、やたらと熱心に話を聞いている。

今考えると、ちょっと不思議な光景だったかもしれません。

でも、そこで私が夢中になったのは、化粧品の商品説明だけではありませんでした。

ヴェレダの創業者である哲学者・ルドルフ・シュタイナーの思想。

植物をじっくり観察すること。

自然のリズムとともに作物を育てるバイオダイナミック農法。

植物を単なる「成分」として見るのではなく、その植物がどんな場所に生え、どんな姿をして、どんなふうに成長していくのかを見る。

自然の中にあるものを観察し、その知恵を人間の暮らしへつなげていく。私は、その世界に強く惹かれました。

そして、ふと思ったのです。

子どもの頃から憧れていた、あの世界。庭に植物があり、その性質を知り、必要なときに摘み取って、人のために使う。

魔女の世界は、お話の中だけにあるんじゃなかった。

形は違うけれど、それを本当に考え、研究し、現実の暮らしの中で実践している人たちがいる。

私にとってヴェレダやシュタイナーとの出会いは、空想の世界と現実の世界が、初めてしっかりとつながった瞬間だったのだと思います。

だったら私は、その道をまっすぐ進んで、植物療法の世界へ――

……とは、なりませんでした。

なぜなら私はまだ、どうしてもアートの世界を諦めきれなかったからです。

そして二十歳くらいの頃。

わずかなお金を持って、ほとんど何の目的もないまま、パリへ行くことになります。

そこで私は、なぜか「人形」に出会います。

私の魔女への道は、まだまだ遠回りをするのでした。

 

第二章|なぜか私は、人形を作り始めた

 

ヴェレダやシュタイナーの思想に出会って、

「子どもの頃に憧れていた世界は、本の中だけにあるものじゃなかったんだ」

と知った私。

だったら、そのまま植物療法の道へ進めばよかったのですが、そう簡単にはいきませんでした。

私はまだ、アートの世界への思いを捨てきれずにいたからです。

ほとんど何の目的もなく、パリへ

 

二十歳くらいの頃。

私は当時付き合っていた彼と、その親友との3人で、パリへ行くことになりました。

 

留学でもなければ、何かを勉強するためでもありません。

 

大した目的もなく、わずかなお金を持って、とにかく「芸術の街」行ってみた。

そんな旅でした。

けれど、そこで見たものは、その後の私にずいぶん影響を残したように思います。

街の中に、当たり前のようにアートがあること。

香りが、単なる「いい匂い」ではなく、ひとつの文化として存在していること。

古い薬局や薬草店を思わせるような、アポセカリーの空気。

美術館の中だけではなく、街そのものに、人が長い時間をかけて育ててきた美意識が流れている。

そんな世界に、私はすっかり魅了されました。

そしてもうひとつ。

パリの街を歩いていると、なぜかやたらと私には「人の形をしたもの」が目につきました。

別にフランス人形が欲しかったわけではありません。

ただ、人間の姿そのものを「作品」としてつくることに、妙に心を惹かれたのです。

人形をつくってみたい。

なぜそう思ったのか、今でもよくわかりません。

でも日本へ帰った私は、本当に人形を作り始めることになります。

尊敬する人から学ぶ、ということ

 

帰国後、私は人形作家の四谷シモン先生に師事しました。

 

絵描きを目指していたと思ったら、パリへ行き、帰ってきたら人形を作っている。

しかも足を踏み入れたのは、アートの中でもかなりニッチな世界です。

 

「私はいったい、どこへ向かっているんだろう」そんな不安もありました。

人形作家になって、それで生きていけるのか。

そもそも私は、本当にこれを仕事にしたいのか。

相変わらず、将来のことはよくわかりませんでした。

でも、シモン先生のもとで過ごした時間は、私にそれまで知らなかったものを教えてくれました。

尊敬する人に師事して、学ぶという喜びです。

学校が嫌いだった私は、長いあいだ「学ぶこと」そのものが好きではないのだと思っていました。

でも、そうではありませんでした。

自分が心から尊敬する人のところへ、自分の意思で通う。

その人が見ているものを、もっと知りたいと思う。教わったことを自分でやってみて、できなくて、またやってみる。

もっと知りたい。もっとできるようになりたい。

そんなふうに学ぶことは、とても楽しかった。学ぶって、本当はこんなに面白いことだったんだ。

学校嫌いだった私は、この頃になって初めてそれを知りました。

人形を作っていたら、人体が気になり始めた

 

人形を作るということは、人間の身体を作るということでもあります。

そうすると私は、だんだん本物の人間の身体が気になるようになりました。

 

人間の形を作ろうとすればするほど、「そもそも、人間の身体ってどうなっているんだ?」という疑問が出てきます。

 

それで解剖学の本まで見るようになりました。

もちろんこの頃は、自分が後にアロマセラピストになって、解剖生理学を本格的に学ぶことになるなんて知りません。

ただ、人形を作りたくて身体を見ていただけでした。

では、魂はどこに宿るんだろう

 

ところが私が気になったのは、目に見える身体の構造だけではありませんでした。

 

人形について、「魂が宿る」という言い方をすることがあります。

では、本当に魂というものがあるのなら。

それはいったい、人形のどこに宿るんだろう?

そんなことを考えるようになりました。

 

シモン先生や生徒さんたちとは、アトリエで一緒にお酒を飲むこともよくありました。

 

そして酔っ払うと私は、「先生、魂ってどこに宿るんですか?」と、何度も聞いていました。

でも私は結構、本気でした。

 

身体は目に見える。触ることもできる。切り開けば、そこに骨や筋肉や臓器があることもわかる。

 

では、人間を「その人」にしているものは、どこにあるんだろう。

命がある身体と、命のない身体の違いは何なんだろう。

目に見える身体について知りたくなる一方で、その身体の向こうにある、目には見えないものについても知りたくなっていきました。

そういえば、シュタイナーがそんなことを言っていた

 

そんなことを考えていたあるとき。

 

私は、何年も前のことを思い出しました。

 

10代の頃、ヴェレダの商品説明会で聞いたシュタイナーの人間観です。

 

人間を、目に見える肉体だけで捉えるのではなく、「肉体・エーテル体・アストラル体・自我」という異なる側面から捉える考え方。

「魂はどこに宿るんだろう?」という自分自身の問いを持って、その思想を思い出したのです。

もしかしたら、ここに何かヒントがあるんじゃないだろうか。

そうして私は、もう一度シュタイナーの世界に触れることになります。

最初に出会ったときとは、まったく違う入口から。2002年頃、22、23歳の頃だったと思います。

アートの中で、身体と魂を考えていた

 

振り返ってみると、この頃の私は少し不思議なところにいました。

 

人形という「アート」を作りながら、身体の構造を知りたくて解剖学の本を開き、その一方で、「魂とは何だろう」と考えている。

今の花の星で大切にしている、「ART|アート・SCIENCE|科学・PIRITUAL|目に見えない世界」という三つの視点は、この頃から、まだ名前もつかないまま私の中にあったのかもしれません。

とはいえ・・・

そんなことばかり考えていても、生活していかなければなりません。

人形を作ることは大好きでした。シモン先生のもとで学ぶことも大好きでした。でも、だんだん私は現実的なことを考えるようになります。

「ところで私、人形作家になって食べていけるんだろうか?」

魔女や魂について考えていても、家賃は払わなくてはいけません。

そろそろ、ちゃんと手に職をつけた方がいいのではないか。

かなり打算的に、私はそう考えました。

だったら、まったく興味のない仕事を選ぶより、ここまで何度も私の人生に現れてきた、植物やシュタイナーの世界につながる仕事がいい。

「セラピスト、という仕事はどうだろう?」

ここから私はようやく、植物療法を「好きな世界」ではなく、自分が生きていくための仕事として学び始めることになります。

あるいは、私がようやくそこに辿り着いたというより、時代の方が追いついてきたのかもしれません。

子どもの頃から私が惹かれていた、植物を育て、香りを使い、人の心や身体に触れていくような世界。それはずっと私の中にありました。

けれど、私が子どもだった頃には、それを「アロマセラピストという仕事」として結びつける道筋が、少なくとも私の身近なところには、まだほとんど見えていませんでした。

もしあの頃、「植物や香りについて学んで、それを仕事にする人がいるんだよ」と誰かに教えてもらっていたら。

私は案外、迷わず「それになりたい」と言っていたのかもしれません。

私が大人になるのと並行するように、日本でも少しずつ「アロマテラピー」や「アロマセラピスト」という言葉が知られるようになっていきました。

そしてようやく、子どもの頃からずっと惹かれていた、名前のなかった世界に、職業としての名前がついた。

 

そんな感覚だったのかもしれません。

 

そして不思議なことに、その先で待っていたのは、かつて10代のフリーターだった私が、商品説明会の隅で夢中になって話を聞いていた場所でした。

「ヴェレダ」です。

私の人生はここからようやく、少しずつ地面に足がつき始めます。

第三章|植物療法が、私を現実につないでくれた

 

「セラピストという仕事なら、私は生きていけるかもしれない」

 

そう考えた私は、セラピストを育成するスクールへ入り、本格的に植物療法とアロマテラピーを学び始めました。

 

それまでの私は、興味のおもむくままに植物を育て、本を読み、香りに触れ、絵を描き、人形を作り、身体や魂について考えてきました。

 

けれど、ここからは少し違います。精油のこと。人間の身体のこと。安全に使うための知識。人に触れるための技術。

「好きだから知りたい」だけではなく、誰かに提供する仕事として、きちんと学ばなければならない世界に入っていきました。

そして不思議なことに、その先で私は、10代の頃に商品説明会の隅で夢中になって話を聞いていたヴェレダで、実際に働くことになります。

「好きな世界」が、仕事になった

 

ヴェレダで働き始めた私は、植物や香りについて学んでいればよかったわけではありません。

そこは、当然「仕事」の世界でした。

 

お客様に商品やサービスを提供する。売上をつくる。スタッフと一緒に働く。新人を育てる。責任のある立場になれば、店舗全体のことも考える。そうして私は少しずつ、店舗のマネージャークラスの仕事まで任せてもらえるようになりました。

 

学校にも行かず、自分の庭でハーブを育てていた少女。

 

絵描きになりたいと言っていたかと思えば、人形を作り始め、「魂は身体のどこに宿るんだろう」なんてことを考えていた二十歳そこそこの私。

 

そんな私が、ちゃんと働いて、ちゃんと売上をつくって、人を育て、責任を持ち、その仕事でもらったお金で生活している。

・・・ずいぶん当たり前のことのようですが、私にとっては大きなことでした。

 

私は少しずつ、社会の中で生きていける大人になっていったのだと思います。

私は、この世界なら生きていける

 

植物療法は、私にとって憧れの世界へ連れていってくれるものでもありました。

 

けれど、それだけではありませんでした。むしろ、ずっと空想やアートの世界に惹かれ、どこへ向かえばいいのかわからなかった私を、現実の世界へつないでくれたものでもありました。

 

植物について学ぶ。人の身体について学ぶ。身につけた知識や技術を誰かのために使う。その仕事に責任を持ち、対価としてお金をいただく。

そうやって、自分の力で生活していく。

私はそこで初めて、「この世界なら、私は生きていける」と思うようになりました。

 

好きなものを諦めて、現実の世界へ降りてきたわけではありません。

 

好きだった植物の世界そのものが、私が現実を生きていくための足場になってくれたのです。

でも、「ヴェレダの私」ではなくなったら?

 

仕事ができるようになり、任せてもらえることも増えていきました。

 

それでも、私の中にはひとつ気になることがありました。

 

今の私は、ヴェレダという看板の中にいる。その看板があるから、お客様は私の話を聞き、セラピストとして信頼してくださっているのかもしれない。

 

では、その看板を外したらどうだろう。

 

ただの「花子」になったとき。それでも私は、ひとりのセラピストとして人から信頼してもらえるだろうか。

 

考えた末、私なりに出した答えは、とてもシンプルでした。

 

「資格だな」

人から専門家として認めてもらうための、客観的なものが欲しい。

だったら、せっかく取るなら高い水準のものを目指そう。

 

そうして私は、英国IFA(International Federation of Aromatherapists)の認定アロマセラピストを目指すことにしました。

学ぶなら、この人から

 

資格を取ると決めたとき、もうひとつ私の中で決まっていたことがありました。

 

どうせ学ぶなら、尊敬できる人から学びたい。

そこで選んだのが、日本のアロマセラピストの第一人者のバーグ文子先生でした。

 

なぜそういう選び方をしたのか。

 

今振り返ると、四谷シモン先生のもとで過ごした時間が大きかったのだと思います。学校という場所にはあまり馴染めなかった私が、シモン先生との出会いによって、「この人から学びたい」と思える人に出会い、師事することの喜び

を知っていたからです。

アートでは四谷シモン先生。そして植物療法、アロマテラピーの世界ではバーグ文子先生。

分野はまったく違います。

けれど私にとって「学ぶ」ということは、いつの間にか、ただカリキュラムを終えて資格を得ることではなくなっていました。

その世界を長く歩いてきた人が、何を見て、どう考え、どんな姿勢でその仕事と向き合っているのか。

知識や技術だけではなく、そういうものまで含めて受け取ること。

それが、私にとっての「学ぶ」になっていきました。

憧れだけでは、人の身体には触れられない

 

IFAの学びでは、アロマテラピーについて、さらに深く専門的に学ぶことになりました。

 

精油の化学。解剖生理学や病理学。人の身体に触れるための技術。カウンセリング。安全性や禁忌。

 

10代の頃、私は植物が面白くて、ほとんど独学でハーブティーやチンキ剤を作っていました。

 

でも、誰かの身体や健康に関わる仕事をするなら、「植物が好き」「自然なものだから」というだけでは足りません。

なぜそうするのか。どんなときには使わない方がいいのか。身体の中で何が起きているのか。自分が知らないことは何なのか。

きちんと学ぶほど、植物療法は決して「なんとなく自然でやさしいもの」ではないこともわかっていきました。

子どもの頃に憧れた魔女の世界は、ここで初めて、化学や解剖生理というしっかりとした地面を持つようになったのだと思います。

植物療法が、私にくれた「足」

 

振り返ってみると、20代の私はずいぶん変わりました。

魔女に憧れていた。絵描きになりたかった子ども時代の憧れ。
 

パリへ行った。人形を作った。身体を調べながら、魂のありかを考えていた。

そして最後には、植物療法を専門的に学び、資格を取り、組織の中で働き、人を育て、売上にも責任を持つようになった。

植物療法は、私から空想やアートの世界を取り上げませんでした。

むしろ、それらを好きなままでも、現実の世界でちゃんと生きていけることを教えてくれました。

植物療法は、私に翼をくれたというより、地面に立つための「足」をくれた。

今振り返ると、そんなふうに感じます。

専門教育で精油の化学や解剖生理を学ぶ一方で、私自身の興味は、それだけに収まりませんでした。

学べば学ぶほど、西洋の神秘思想や占星術などの繋がりも見えてきて、

捉えどころのなかった、スピリチュアルな学びが植物を扉に少しずつ先に進むことができてきたようにも感じました。

シュタイナーについて調べたり、植物と占星術にはどんなつながりがあるのだろうと古い植物療法の世界を辿ったり。

 

2000年代後半。当時は今のように、検索すれば日本語でいくらでも情報が見つかる時代ではありませんでした。

 

本を探し、わずかな手がかりから次の手がかりへと辿りながら、一人でずいぶんいろいろなことを調べていたように思います。

 

専門家として必要なことを学ぶことと、自分がどうしても知りたいことを追いかけること。私の中では、その二つはいつも並行していました。

そして20代を終える頃には、私はようやく、「これが私の仕事です」と言えるものを持つようになっていました。

これで、きっとずっとこの世界で生きていくのだろう。

その頃の私は、そう思っていたのかもしれません。

けれど2011年。

私の暮らす場所そのものが、東京から沖縄へと大きく変わることになります。

そして沖縄でセラピストとして働く中で、今度は別の問いにぶつかりました。

「私は、いったい誰のためにアロマテラピーをしたいんだろう?」その問いが、やがて「花の星」につながっていきます。

私が魔女になるまで(まだ途中)

第一章|魔女は、本の中にしかいないと思っていた

「どうしてアロマテラピーを始めたんですか?」

そう聞かれると、少し困ります。

どこからを「始まり」と呼べばいいのか、よくわからないからです。

童話の中に出てくる、薬草を使う魔女のおばあさんに憧れていた子どもの頃なのか。

学校にもあまり行かず、自分で小さなハーブガーデンをつくって、ハーブティーやチンキ剤を作って遊んでいた15歳くらいの頃なのか。

お年玉を握りしめて青山のアロマショップへ行き、小さな精油の瓶が並ぶ世界に胸を躍らせた日のことなのか。

それとも、ずっと後になって、植物療法を仕事にして生きていこうと決めた日のことなのか。

たぶん、その全部なのだと思います。

物語の中の、薬草を使う人

子どもの頃の私は、童話に出てくる魔女に憧れていました。

庭で植物を育てて、必要な薬草を摘んできて、小さな瓶の中で何かを調合する。

『魔女の宅急便』のキキのお母さんのような、植物のことをよく知っていて、その知恵を使って人を助ける人。

もちろん当時の私にとって、それは現実の職業でも学問でもありません。

お話の中にだけ存在する世界でした。

けれど10代になって、ハーブというものを知りました。

植物を育てて、それをお茶にしたり、何かに漬け込んだりして、自分の暮らしの中で実際に使うことができる。

「あれ。もしかして、あの世界は本の中だけのものじゃないのかもしれない」

そんなことを思ったのだと思います。

15歳、小さなハーブガーデンをつくる

当時は今のように、スマートフォンで調べれば世界中の情報が出てくる時代ではありませんでした。

手に入る本や、わずかな情報を頼りに、自分でハーブを育てるようになりました。

小さなハーブガーデンをつくって、育った植物でハーブティーを淹れたり、チンキ剤を作ったり。

誰かに習ったわけでもありません。

ただ面白くて、一人であれこれ試していました。

しかもその頃の私は、学校にもあまり行っていませんでした。

学校には行かず、自分の庭で薬草を育ててチンキを作っている15歳。

今振り返ると、

大丈夫なのか、この子。

とちょっと思います(笑)。

でも、植物を育てて、観察して、調べて、自分の手で何かを作ってみる。

それは私にとって、勉強というより遊びでした。

そして不思議なことに、今の花の星でやっていることの原型も、すでにこの頃にあったように思います。

お年玉を握りしめて、香りの世界へ

アロマテラピーとの最初の出会いとして、今でもよく覚えている場所があります。

東京・青山にあった、カルペパーハウスです。

小さな精油の瓶がずらりと並ぶ店内。

まだ何も知らない私は、お年玉を握りしめて、

「どれを買おう」

と、わくわくしながら瓶を眺めていました。

ところが、そこで見つけたジャスミンの精油。

10mlで、たしか5万円くらい。

少女のお年玉で買えるはずもありません。

結局、私は泣く泣く何も買わずに帰りました(笑)。

でも今振り返ると、あの日の驚きは、私にとって結構大きなものだったのかもしれません。

こんなに小さな瓶に入った、目にも見えない「香り」に、どうしてこれほどの値段がついているんだろう。

当時の私は、たくさんの花からほんのわずかな精油しか採れないことも、その植物を育て、収穫し、香りを取り出すまでにどれほどの手間がかかるのかも知りません。

ただ、

この小さな瓶の向こうには、私の知らない大きな世界があるらしい。

そんなことだけは感じていたように思います。

でも、私は絵描きになりたかった

植物と同じくらい、子どもの頃から好きだったものがあります。

絵を描くことです。

私は芸術系の学校への進学を考え、絵画教室や美大予備校に通って、デッサンや絵画の基礎を学んでいました。

植物や香りの世界には惹かれていたけれど、

「将来はアロマセラピストになろう」

なんてことは、まだ考えていません。

むしろ私は、アートの世界へ行きたかった。

けれど家庭の事情から、進学することができなくなりました。

そこからしばらく、私にとって長い模索の時期が始まります。

進学もせず、就職もせず、アルバイトをしながら、

「私は、これから何をして生きていくんだろう」

と考えていました。

絵を描くことへの思いも捨てきれない。

植物や香りも相変わらず好き。

でも、それが仕事になるとも、自分の人生につながるとも思っていない。

そんな、どこへ向かうのかよくわからないティーンエイジでした。

そして、ヴェレダに出会った

そんな頃、アルバイトをしていたライフスタイルショップで、私はヴェレダと出会いました。

お店で商品を取り扱っていたことから、メーカーが開催する商品説明会にも参加するようになりました。

仕事として参加している大人たちに混ざって、10代のフリーターの女の子が一人、やたらと熱心に話を聞いている。

今考えると、ちょっと不思議な光景だったかもしれません。

でも、そこで私が夢中になったのは、化粧品の商品説明だけではありませんでした。

シュタイナーの思想。

植物をじっくり観察すること。

自然のリズムとともに作物を育てるバイオダイナミック農法。

植物を単なる「成分」として見るのではなく、その植物がどんな場所に生え、どんな姿をして、どんなふうに成長していくのかを見る。

自然の中にあるものを観察し、その知恵を人間の暮らしへつなげていく。

私は、その世界に強く惹かれました。

そして、ふと思ったのです。

子どもの頃から憧れていた、あの世界。

庭に植物があり、その性質を知り、必要なときに摘み取って、人のために使う。

魔女の世界は、お話の中だけにあるんじゃなかった。

形は違うけれど、それを本当に考え、研究し、現実の暮らしの中で実践している人たちがいる。

私にとってヴェレダやシュタイナーとの出会いは、空想の世界と現実の世界が、初めてしっかりとつながった瞬間だったのだと思います。

だったら私は、その道をまっすぐ進んで、植物療法の世界へ――

……とは、なりませんでした。

なぜなら私はまだ、どうしてもアートの世界を諦めきれなかったからです。

そして二十歳くらいの頃。

わずかなお金を持って、ほとんど何の目的もないまま、パリへ行くことになります。

そこで私は、なぜか人形に出会います。

私の魔女への道は、まだまだ遠回りをするのでした。

この第一章なら、「パリでなぜ人形?」で第二章をクリックしたくなるところで終われる。

タイトルも私は 「魔女は、本の中にしかいないと思っていた」 を第一候補にしたい。単なる「少女時代」より物語が始まる感じがあるし、章の最後で「実は現実にもいた」と反転する構造にもなっている。

第二章は逆に、かなり変な方向へ行くので(笑)、「なぜか私は、人形を作り始めた」くらいのタイトルから始めると、読み物としてつながりがいい。

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